横浜とブラジル

横浜港は、「あるぜんちな丸」「さんとす丸」などの移民船で多くの日本人がブラジルを中心とする南米に移住するための出発地だったことをご存じですか?旅立つ移住者や帰国者が宿泊する「移民宿」が最盛期には20軒近く立ち並んでいました。移住者の多くの方々は横浜にとても親近感を感じています。

ご存知でしたか?横浜とブラジルのつながりの軌跡

こんなところでつながりを見ることができます

  1. 大桟橋を建造した木材は、ブラジルのイぺーの木

  2. ランドマークの床材は、ブラジル産の石

  3. 臨港パークの、日本ブラジル修好100周年の碑

  4. 日産スタジアムの、2002年サッカーW杯で優勝したブラジルチーム・グッズ

  5. 第二次世界大戦の敗戦後の物資が不足していた日本に対してブラジル日系人から送られた「ララ物資」をご存知ですか?横浜港の新港埠頭には香淳皇后陛下(昭和天皇の皇后)がその感謝を詠んだ御歌の記念碑が立てられています
     

日本を助けたおくりもの ララ物資にみる海外日系人との絆
第二次世界大戦終戦直後の荒廃した日本では、食料や衣料をはじめとする生活必需品を手に入れるのが大変でした。そんなすべてのものが不足していた時代に、海外のララという団体から、たくさんの支援物資が届いたことをご存知ですか。
ララから届いた支援物資はララ物資とよばれ、1946年から52年までに、ミルク類、穀物、缶詰、バターやジャムなどの食料品をはじめ、衣類、医薬品、靴、石けん、学用品のほか、乳牛やヤギなどが届けられました。
その総額は、今のお金で400億円を超え、そのうちの20パーセントが、日本を救おうと立ち上がった北米、ブラジル、アルゼンチンなど海外在住の日本人、日系人からの善意のおくりものでした。
新港地区海上保安庁のゲート前に、香淳皇后(昭和天皇妃)がララ物資への感謝を詠んだつぎの御歌の記念碑があります。
「ララの品 つまれたるを見て とつ国のあつき心に 涙こほしつ」

   注)とつ国=外つ国=外国
「あたたかき とつ国人のこころつくし ゆめなわすれそ 時はへぬとも」

Punipcruises 画

110年の時を経てみなとみらいに戻った笠戸丸

大桟橋の床板

イペーの木/日本ブラジル修好100周年記念碑